読読日記

経営、経済、金融を中心とした読書日記

『創業1400年 世界最古の会社に受け継がれる16の教え』金剛 利隆 ダイヤモンド社

1400年続く会社がある。企業の多くが創業から3年、10年、30年といった節目を乗り越えられない。30年を超える時、多くの企業では代替わりが経営課題となる。

 

◆代替わりを如何に行うか

企業は経営陣によって如何様にも変化する。経営を脈々と繋いでいくこと。その為には、誰にバトンタッチをしていくか。タスキを誰に受け継ぐか。このことは、経営者にとって最大の職責となる。

 

後継者は血縁以上に能力で選ぶこと

 

当たり前と言えば当たり前に聞こえる。だけど、その当たり前を多くの企業、組織でできていないからこそ、この言葉の意味は重い。

 

◆「人」の問題に対処する

経営者は、オーナー企業の場合、定年なんてあって無い様なモノなので、60歳を超えても現役でいることは珍しくない。だけど、中核となる社員は所謂新卒で入社しても、22歳から60歳では38年にしか過ぎない。そうすると、やはり企業の継続は人の寿命、社員の年齢によって大きく影響を受ける。

 

創業100年続くということは、何らかの強みを有していること、時代の変化に対応してきたといったこともあるけど、何よりも企業を存続させる「人」の問題に対応できているといった点が特徴となる。強みとして有している。

 

目下の人には深く情けをかけ、穏やかな言葉で召し使いなさい

 

あっさりと言うけど、実践するのは中々難しい。大量の情報が凄い速さで駆け巡る現代においては、実践する難易度は増している。でも、だからこそ、企業としてどの様なカルチャーを構築すべきかといったことを大切にしなくてはならない。召し使える…といったこと少し違和感があるけど、穏やかな言葉ということは大切なことだと深く共感する。荒い言葉遣いは、人の心を荒ませる。

 

◆続けるのではなく、結果として続くこと

続けることを目的にしても意味は無く、結果として続くことに意味がある。言葉遊びの様に聞こえるかもしれない。だけど、凄く重要なことだと思っている。

 

企業が数値を掲げる時、本来はその数値を達成した時に実現できる何かを、分かり易く表現する為に数値を掲げるはずだ。だけど、往々にして数値はアイコンとしての扱いや、分かり易さとしての目的は忘れられ、目標としての扱いをされる。

 

100億円稼ぐことに意味は無い。時価総額1,000億円に意味は無い。価値あるモノ、サービスを世の中に提供し、それが受け入れられた結果として売上があがる。将来への期待によって高い評価が為されて、時価総額として評価される。何の為に存在するのか。何をしたいのか。

 

原点を忘れないこと

 

このことに尽きる。

 

★★☆☆☆

インタビューを聴いてみたいと思った経営者

 

『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』池上彰 佐藤優 文春新書

◆ジャーナリストはスパイになる素養を持っている

ジャーナリストは刑事や探偵になる素養を持っている。子供の頃からのスパイ小説の影響かも知れないけど、ずっとそんな風に思っている。池上氏を見ているとそんな風に思う。

 

世の中の情報を組み立てて、持っている知識と合わせて、モノゴトの解釈をする。同じ出来事の解釈でも、歴史や関係性を知っている人が解説すると、事象が立体的に浮かび上がってくる。それを平易な言葉で万人が分かる様に話す。

 

◆優秀なビジネスマンも同じようにスパイになる素養がある

情報を集める。可能な限りの公知情報を集める。様々なステークホルダーにさり気なく接触する。意思決定権者の思考回路、考え方のクセを見抜く。自社に有利な情報を関係者に拡散させる。情報提供者を至る所に確保する。

 

B2Bで営業をやっていると、意識するかしないかや、実施する程度感は別として、大なり小なりある程度上記の様なことはやっているんじゃないだろうか。

 

如何に自分₍自社₎のバリューを出せるか。他社より優位に立つか。そんなことを考えていると、上記の様な行動を取ることは自然ななりゆきだ。勿論、すべて合法的かつ倫理的にも許容される範囲という大前提はある。

 

◆国力、労働力、移民

EUにおける労働力

ドイツ人>チェコ人>ウクライナ人、底辺労働力の確保

 

EUにおける民族や移民問題を考える時、労働量の確保といった観点が重要となる。自国の経済成長を実現する為には、一定の労働力が必要となる。特に、肉体労働や単純労働では重要な課題となる。

 

その時、安い労働力として、移民を活用することとなる。EU内での序列は当然のこととして、EU域外に労働力を求めることもある。

 

ドイツは昔からトルコからの移民を底辺労働力として活用してきたと、ドイツ駐在経験の長い人が言っていた。トルコに旅行に行ったという話をした時に、30年前くらいにドイツ駐在をしていた人からすると、そんな国に旅行へ行ったんだという様な、一種トルコを下に見る様な雰囲気が言外に出ていたのを覚えている。

 

現在、シリア等からの移民をどの様に受け入れるのかといったことが、EU各国で政治問題化している。ドイツの場合は、第二次世界大戦時のホロコーストの関係から、移民を受けるということに意味を見出しているとも言われる。経済的な思惑だけでなく、歴史や政治、様々な観点から問題を認識しなければ、問題の本質を理解できない。

 

◆移民の増加、国とは何か

アメリカはイギリスからの移民が中心となって国をつくった。安価な労働力としてアフリカから黒人を連れてきた。建国以来、アメリカは白人を中心とした国として成立してきた。かなりモノゴトを単純化しているものの、大枠はそんな理解だ。

 

2050年に米国では白人が少数派に転ずる2050年問題。ラティーノの増加。

 

最近は、ヒスパニックとは呼ばずラティーノと呼ぶらしい。中南米からの移民が増加し、アメリカの人口は増加し続けている。安価な労働力が安定的に供給されるからこそ、アメリカの経済は成長をし続けることが可能となっている。

 

ただし、白人が少数派に転じる時、アメリカはどの様な国になるのだろうか。移民の増加、低所得層の増加は、行政における税収と支出のバランスが崩れる要因となる。人口構成が変化するとき、選挙におけるパワーバランスも変化する。結果、政策が変わる。国が変わる。2050年、アメリカはどの様なアメリカになっているのだろうか。

 

★★★☆☆

どの様な職業であっても、インテリジェンスの有無は優劣を決める

『大局観 自分と闘って負けない心』羽生善治 角川oneテーマ

色々な分野で職業的専門家、プロと呼ばれる人がいる。特定の分野を極めている人の話は、気づきを貰えることが多い。最近では、コンピュータが人を負かす何てことも起きている様だけど、それでもトップレベルのプロ棋士と呼ばれる人たちには興味深い人達が多い。

 

◆不安を感じなくなる

棋士と言うと、盤面を把握する力、先を読む力などが常人より優れている印象。そんな能力を持っている人の言葉は、勝負事においてだけでなく、人生においても役立ちそうな含蓄ある言葉となっている。

 

漠然とした不安は暗闇と同じで、ただ暗くて何も見えないから不安に思うだけで、実態はなにもない

 

案件で不安に思う時、細かくタスクを分解する。色々とシミュレーションをする。細かなところまでイメージできる様になると、だいたい不安を感じなくなる。不安とは分からないことだと思っている。

 

◆深く狭く、浅く広く

仕事をする上では、色々なタイプの能力が必要となる。瞬間的な対応力も必要だし、継続的な対応力も必要。対応だけでなく、思考においても同様。浅く広く考える時と、深く狭く考える時がある。いずれにしても集中力が問われる。

 

集中力を高めるには、何も考えない時間を持つ、一つのことをじっくり考えることに慣れる、時間と手間のかかることに取り組む

 

シミュレーションをすることは、不安を解消する上でも有効だけど、集中力を高めるにも有効だ。集中力を高めて思考する時、深く海に潜る感覚に近い。回りの音は聞こえず、視野も狭くなる。自然と外部の情報をシャットダウンする形になる。この時、深く狭く考えることができる。

 

浅く広く考える時は、幽体離脱する感覚だ。自分を空から見下ろしていて、全体を俯瞰する。そうすると、物事の全体像や相関関係が見える。

 

検索に依存すると自分の可能性を小さくしてしまうのではないか

 

インターネットの検索は、浅く広く考えることに似ている。物事を俯瞰して捉えることは大切だけど、それだけでは、本質的なことを見失ってしまう。本当に大切なことが何かということに巡り合うには、深く狭く考えることが₍も₎必要。

 

結局は何事もそうだけど、どちらか一方だけで良いということはまず無く、両方のバランスが大切ということになる。ただし、意識しないと深く狭く考える機会は少ない。

 

◆戦局をコントロールする

話は変わるけど、色々書いてあった中で「なるほど~」と唸ったのはこちら。

 

不利な時には戦線拡大。争点を広げて複雑化をめざす

 

ビジネスでは、不利な時は戦線を縮小する。外部への接触面積を最小化する。限られたリソースを得意分野に集中投下する。といったのがセオリーだと思っている。

 

でも確かに混乱させることができれば、挽回のチャンスが巡ってくることもある。戦局をコントロールできていないからこそ、戦線が拡大するのだろうから、矛盾するんだけど、直感的に納得感があった。基本的なシナリオにはならないかもしれないけど、何か有効な局面もありそうだ。

 

★★★★☆

将棋は一向に上手くならないけど、棋士の本は結構好きだ

 

『最高の戦略教科書 孫子』守屋淳 日本経済新聞社

◆最近、仕事でコンペが増えている

仕事において競合企業とコンペになることが多い。相見積もりと業者っぽく扱われるか、ビューティーコンテストと綺麗に語られるか、呼び方は様々。仕様書であったり、RFPであったり、何らかのお題があって、提案を行う。

 

競合企業がいて、コンペになると、途端に戦闘モードが全開になる。勝率は悪くはない。ある程度のレベルでどの様な仕事もこなせると思うけど、本当にこのやり方で良いのだろう。この次元で物事を捉えていて良いのだろうか。

 

百回闘って百回勝ったとしても最善の策とは言えない。闘わないで敵を屈服させることが最善の策

 

まさに考えるべきはこのことで、如何に戦わずして勝つか、案件を受注するかが重要なはずだ。その次元で物事を捉えると、コンペに持ち込まれた時点で戦略は失敗とは言わずも、決して成功ではなく、中長期的な視点での戦略を組み立てなければならない。と、頭では分かっているものの、日々現場では目の前の対処で疲弊をしている。

 

自分の仕事は、皿回しをしているのか。モグラ叩きをしているのか。何てことを思うことがある。倒れそうになる皿を必死走り回って回し続けている。叩いても叩いても次から次に出てくるモグラをとにかく叩き続けている。ゴールはあるのだろうか。何てことが頭をよぎる様な形で、目の前の事象に反応している。

 

◆時間を本来的な顧客サービスに向けられないジレンマ

コンペの何が良くないかって、明確にリソースが割かれること。お客さんにとって、本質的ではないことで判断が為されること。コンペに参加するからには勝たねばならないとなり、冷静な議論が見失われることがそれなりにある。本当ならコンペに投入する時間やリソースを、顧客サービスに回したい。

 

短期で勝てる相手とだけ戦う

 

コンペに参加するときは、如何に短期決戦にするかを心掛けている。短期間であればあるほど、それまでの蓄積がモノをいう。顧客の期待値もそれ程上がらず、短期間でこのアウトプットを出してくれたと80点でもそれなりの評価を得られる。

 

時間があると80点では手抜きとみなされる。だけど、80点を90点にもっていく労力は、70点を80点に引き上げる労力の何倍も負荷がかかる。負荷は大きいものの、顧客満足度は上がり難く、ROIが正直よろしくない。

 

士気や感情の力を勢いから考える

 

チームメンバーの士気も、中途半端に時間があると維持できない。短期決戦であれば、入り方さえ間違えなければ士気の維持は難しくない。勝てる勝負だという印象をどれだけチームメンバーに持たせられるかが重要となる。

 

出来ればコンペに持ち込ませない形で受注を得る。コンペになる場合は短期決戦を極力目指す。分かってはいるけど、中々できないもどかしさ。

 

★★★☆☆

じっくり腹落ちするまで読むんだろうなと思った本

 

 

 

『スピーチライター 言葉で世界を変える仕事』蔭山洋介

日本でも政治の世界にスピーチライターが進出してきている。

トップの言葉に関心が集まる。

言葉の力が注目を集める。

安部政権はまさにその典型と言える。

 

◆Buy my Abenomics

英語としてどうなのかはよく分からない。

正しいのか、ニュアンスとしておかしくないのか。外国人にはどの様に聞こえるのか。

 

無難な表現を聴き手にとって印象深くなるようサウンドバイトする。短く印象に残るフレーズ

 

アメリカでオバマ大統領が使ったのは、Change!という一言だった。

小泉元首相の言葉も、短く印象に残るフレーズだった。

「感動した」とか、「郵政改革なくして構造改革なし」とか、「自民党をぶっ壊す」とか。₍うろ覚えです、何となくこんな感じだったはず₎

 

平易な言葉。

韻を踏んでいる。

象徴的なものを取り上げる。

敢えて少し乱暴な表現を使う。

色々なテクニックが意図してか、先天的なものなのか、散りばめられていた。

 

安部首相は、小泉元首相を意識しているだろうし、メディア受け、大衆受けを意識した今どきの政治家なんだろう。

 

◆ストーリーを語るということ

スピーチや話が上手い人というのは確かにいる。

中には天性の語り部の様な人もいる。

 

リアリティとは当時体験したその瞬間に立ち上がってくる感覚や感情

 

ボクが知っている人で、まさに語り部の様な話の上手い人がいた。

 

物語に人を巻き込む。

その人が話をすると、情景が目の前に湧き上がってくる。

ある時は、自分が見ている景色。

別のある時は、空から鳥瞰している様な景色だったりする。

その時感じる感情や感覚はリアリティをもって、自身の体験として感じる。

時間を超え場所を越える。

 

本当に魔法の様だった。

 

◆魔法を真似する

天性の語り部だと思った人は、実は努力の人だった。

相当の準備をしていたし、長い年月を掛けて努力をしていた。

 

良質な文章を大量に読んでいた。

気になるフレーズや発言、言い回しはメモを取っていた。

新聞や雑誌の切り抜きもしていた。

学生時代は、役者志望だったと後から知った。

 

企業トップが挨拶やプレゼンをする時に、部下や事務局の原稿をそのまま読み上げていることがある。そんな人には、是非スピーチライターの活用を考えて欲しい。

 

★★☆☆☆

言葉で世界を変えることは、簡単なことではない。

でも、言葉を大切にしない人が世界を変えられるとも思わない。

 

 

 

『自己啓発病社会』宮崎学 祥伝社新書

自己啓発とは不思議な言葉だ。人によって受け止め方は異なるのだろうが、ボクには少し気恥ずかしいニュアンスを感じさせる。

 

人に隠れてこそこそとやるイメージ。

未熟な自分を自覚していて、その未熟さを他人に気づかれたくない。

その未熟さは一種のコンプレックスの様なもの。

だからこそ、何をやっているかを知られること自体がそもそも気恥ずかしい。

結果、自己啓発とは、学生時代の「ぜんぜん勉強していないよ」と言いつつ、勉強している感じのニュアンスをボクには感じさせる。

 

◆あの人は今どうしてるのだろう

自己啓発の分野では、色々な有名人が過去に生まれている。本人的には自己啓発ではないと思っている人も、はた目には自己啓発でしかなかったり、場合によっては、売れる為に自己啓発のジャンルを意識したものもあった。

 

茂木健一郎は「脳にいいことをやっていればいい」というポジティブシンキング

 

脳科学者のはず。アハ体験の人。テレビでも二つの映像の違いを探すクイズとかあったけど、ボクはそれが苦手だった。そんな訳かは知らないけど、著作も何冊か読んだはずなのに、何も記憶に残っていない。まあ、ボクには合わなかったんだろう。

 

勝間和代は「情報力を発揮する」

 

何となく覚えているけど、好きではなかった。完全に好みの問題。余り深みの無い人が、必死に作り出したコンテンツを薄めながらばら撒いている雰囲気を感じた。でも好きになれなかった最大の理由は、昔同僚で勝間氏に似た苦手な人がいたから。その元同僚とボクは完全に性格が合わなかった。

 

◆時代背景でブームは変わる

 

1980年代の自己開発ブームは社会の自信に溢れた全能感にあおられたもの。2000年代の自己啓発ブームは社会の不安な無能力から逃れるためにすがったもの

 

これはモノ言い方で何とでも言えそうだ。個人的には、自己啓発のコンテンツはある程度分類ができる様に思う。幾つかの普遍的なコンテンツがあって、それがマーケティングによりパッケージを変えて流行っていると思う。解釈は色々とできる。

 

自己啓発とは何だろう

自己啓発の先に、何があるんだろうか。自己啓発をすること、自己啓発本を読むことで、何らか変化することはあると思う。少しの気づき、少しの変化が人生を変えることもある。でも、本当にそうなんだろうか。

 

かつて労働は奴隷の仕事

 

次から次に自己啓発本が出ては売れていることを考えると、確かに依存性のある病気なのかも知れない。もしくは中毒性の高い娯楽なのかも知れない。

 

結局のところ、労働は奴隷の仕事であって、搾取される側の話なのではないだろうか。搾取される檻の中で、必死にもがいている、少しでも苦痛を和らげるためのモノに過ぎないんじゃないだろうか。

 

★★☆☆☆

自己啓発の先に何があるんだろうか。

 

『独立国家のつくりかた』坂口恭平 講談社現代新書

表面的には荒唐無稽なことを言っているけど、いつも色々と考えるきっかけ、気づきがある著者の一人。好きではないけど気になる。避けようとするけど気になる。

 

最近気づいたのは、自分自身が十分言語化できていないことを、この人は言語化しているんじゃないかということ。ボクは躁鬱ではないけど₍恐らくであって、本当にそうじゃないのか自信はない₎、基本的な感性が似ているんじゃないか。ボクが持っているモノの感じ方を、より研ぎ澄まして、増幅させた様なイメージを持つ。

 

◆お金について考えること

無署名のお金と署名入りのお金

 

お金の価値は相対的なものだ。同じ金額であっても、気持ち良く払えることもあれば、全く払う気がしないこともある。ありがたく受け取るお金もあれば、ありがたみを感じないお金もある。

 

その違いは、無署名か署名か、言い換えると自分と相手、払い手と受け手の関係性の有無や濃さによって生じる。相対する関係性によって、お金の価値は変わる。

 

食事に1万円を払う。別に1,000円でも良い。期待を大きく超える美味しさとサービスがあれば、気持ち良く払う。その時、決して高いとは思わない。その食事の価値は高く、絶対的な金額ではなく、相対的な金額として安い。ここでは、価値の高い署名入りのお金が支払われる。

 

でも、普通の料理で、明らかにぞんざいな扱いを受けたりすると、それは幾らであっても払いたくない。それが1,000円であっても、500円であっても、決して安くない。その食事の価値は相対的に安く、金額として高い。ここでは、価値の低い無署名のお金が支払われる。

 

◆株主について考えること

 

お金について考えることと似た様なことを、株主について考えることがよくある。

未上場段階で特定少数の株主と付き合っている状態から、上場をして不特定多数の株主と付き合う様にになると、株主との付き合い方が分からなくなる経営者が、実は多い。

 

顔が見えて人間関係があれば、お金の出し手に対して素直に感謝するし、恩も感じる。そうすると、対話を通じて株主/投資家と目線がずれずに経営することが普通にできる。それは楽だとか難しいとかそんなことを意識することなく普通にできる。

 

未上場の時には、ベンチャーキャピタルや取引先、役職員が株主だったりする。当たり前のこととして、株主みんなの顔を知っている。

 

でもそれが、上場すると顔が見えなくなる。機関投資家といっても本当の意味で顔が見えて人間関係がある先は少ない。顔が見える時、極端な時には、アクティビストだったりする。個人投資家といってもデイトレーダーはそもそも株主なのか、正直よく分からない。株主名簿には、何千人、何万人と名前が載っているけど、そこから顔は見えない。

 

そうすると、株主の為にといくら言われても、顔が見えないと、頭では分かっても、本当の意味で株主の為に行動することが難しくなる。多くの経営者がこんなことを本当は思っている。

 

でも決して誰も口には出さない。このことは、署名入りのお金をどれだけ使うか、その意識を持てない限り、変わらない事実なんだろうと、最近は思っている。

 

★★★★☆

タイトルとは裏腹。深層的なところでモノゴトを論じている