『自己啓発病社会』宮崎学 祥伝社新書
自己啓発とは不思議な言葉だ。人によって受け止め方は異なるのだろうが、ボクには少し気恥ずかしいニュアンスを感じさせる。
人に隠れてこそこそとやるイメージ。
未熟な自分を自覚していて、その未熟さを他人に気づかれたくない。
その未熟さは一種のコンプレックスの様なもの。
だからこそ、何をやっているかを知られること自体がそもそも気恥ずかしい。
結果、自己啓発とは、学生時代の「ぜんぜん勉強していないよ」と言いつつ、勉強している感じのニュアンスをボクには感じさせる。
◆あの人は今どうしてるのだろう
自己啓発の分野では、色々な有名人が過去に生まれている。本人的には自己啓発ではないと思っている人も、はた目には自己啓発でしかなかったり、場合によっては、売れる為に自己啓発のジャンルを意識したものもあった。
茂木健一郎は「脳にいいことをやっていればいい」というポジティブシンキング
脳科学者のはず。アハ体験の人。テレビでも二つの映像の違いを探すクイズとかあったけど、ボクはそれが苦手だった。そんな訳かは知らないけど、著作も何冊か読んだはずなのに、何も記憶に残っていない。まあ、ボクには合わなかったんだろう。
勝間和代は「情報力を発揮する」
何となく覚えているけど、好きではなかった。完全に好みの問題。余り深みの無い人が、必死に作り出したコンテンツを薄めながらばら撒いている雰囲気を感じた。でも好きになれなかった最大の理由は、昔同僚で勝間氏に似た苦手な人がいたから。その元同僚とボクは完全に性格が合わなかった。
◆時代背景でブームは変わる
1980年代の自己開発ブームは社会の自信に溢れた全能感にあおられたもの。2000年代の自己啓発ブームは社会の不安な無能力から逃れるためにすがったもの
これはモノ言い方で何とでも言えそうだ。個人的には、自己啓発のコンテンツはある程度分類ができる様に思う。幾つかの普遍的なコンテンツがあって、それがマーケティングによりパッケージを変えて流行っていると思う。解釈は色々とできる。
◆自己啓発とは何だろう
自己啓発の先に、何があるんだろうか。自己啓発をすること、自己啓発本を読むことで、何らか変化することはあると思う。少しの気づき、少しの変化が人生を変えることもある。でも、本当にそうなんだろうか。
かつて労働は奴隷の仕事
次から次に自己啓発本が出ては売れていることを考えると、確かに依存性のある病気なのかも知れない。もしくは中毒性の高い娯楽なのかも知れない。
結局のところ、労働は奴隷の仕事であって、搾取される側の話なのではないだろうか。搾取される檻の中で、必死にもがいている、少しでも苦痛を和らげるためのモノに過ぎないんじゃないだろうか。
★★☆☆☆
自己啓発の先に何があるんだろうか。